法話 ~仏教徒の覚悟~

12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれた事を記念する日、「成道会(じょうどうえ)」です。勿論その事自体がとても素晴らしく、尊い事ではあるのですが、一方で、ごく普通の人間である私たちからすれば、「悟り」などというものはどこか遠く感じられ、何となく他人事の様になってしまっているのではないでしょうか。
しかし「成道」とは、到達できる人とできない人とを分け隔てる”終着点”の事ではありません。「悟りを開く」などと言うと、最終的な結果を得たのだろうと勝手に勘違いしてしまいそうですが、進むべき「道を成した」のですからその先もまだ道は続いていくのです。
仏教というのは、お釈迦様が切り拓かれた人間の生き方の道標の様なものです。そしてお釈迦様ご自身も、そこからその道標を頼りに歩まれたのだという事に違いはないのです。仏道とは、お釈迦様の後にできた道ではなく、前に向けて開けた道なのではないでしょうか。
「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず」
これはお釈迦様が悟りを開かれた後に発せられた言葉です。
「思いがけず素晴らしい事だ。生きとし生けるものは皆な、生き方というものを知っている。ただ人間は自分の心に取り付かれ、この世からの借り物を自分のものだと思い込んでしまうから生き方が分からなくなってしまうのだ」
「宝の持ち腐れ」ということわざがあります。せっかく役に立つものを持ちながら、活用しないまま無駄にしまっておく事です。私達人間は皆、生き方、つまり「悟り」を知ってはいるのです。しかし心の霧がそれを邪魔します。その見えない霧の中に仏道という「悟り」に通じる生き方の道標が照らし出されています。それを利用するかしないか、生かすも殺すも私達次第なのです。
得体の知れない、ほとんどの人が近付く事も出来ない境地が「悟り」なのではなく、日々自分自身の心と向き合い仏教徒としての「覚悟」を深めて行く事こそ「悟り」を実現する道、「仏道」なのです。「成道会」に際して仏教徒が為すべき事は、今一度仏教徒としての「覚悟」を決める事にこそあります。「覚」も「悟」も共に「さとり」という読み方を持ち合わせています。つまり覚悟を決める事が「悟りに目覚める」事なのです。

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