臨済宗

臨済宗の宗祖

栄西禅師 (1141~1215)

 

臨済宗のご本尊

釈迦牟尼仏

 

臨済宗のお唱えする文句

南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

 

臨済宗の主な経典

般若心経、観音経、大悲呪

 

臨済宗の教え

臨済宗の教えのは、人間が生まれながらに、だれもがそなえている厳粛で純粋な人間性をみずから悟ることによって、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握するところにあります。 もちろん禅宗ですから、坐禅を最も重視します。 臨済宗の禅は、「看話禅」と呼ばれ、師匠が「公案」という問題を出します。 弟子はこれを頭だけで理論的に考えるのではなく、身体全体で、理論を越えたところに答えを見いだします。 そして、この結果を検証するのが参禅です。 師匠と二人きりで対面した弟子が、見解を提示し、これを師匠が確かめるのです。

また、禅宗は悟りを開く事が目的とされており、知識ではなく、悟りを重んじる。 禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことである。 悟りは師から弟子へと伝わるが、それは言葉(ロゴス)による伝達ではなく、坐禅、公案などの感覚的、身体的体験で伝承されていく。 いろいろな方法で悟りの境地を表現できるとされており、特に日本では、詩、絵画、建築などを始めとした分野で悟りが表現されている。

 

臨済宗の歴史

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つ。

中国禅宗の祖とされる達磨(5C後半 – 6C前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の南宗禅の祖・曹渓山宝林寺の慧能(638年 – 713年)の弟子の1人である南岳懐譲(677年 – 744年)から、馬祖道一(709 – 788年、洪州宗)、百丈懐海(749 – 814年)、黄檗希運(? – 850年)と続く法系を嗣いだ唐の臨済義玄(? – 867年)によって創宗された。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。

 

弟子が師匠から法を受け継ぐことを、特に禅宗では重視します。 それは、仏教開祖のお釈迦さまの悟りを引き継いでいる、ということを大切にするからなのです。 禅宗はお釈迦さまから二十八代目にあたる菩提達磨によって中国へ伝えられました。 そして、達磨から六代目の六祖慧能、さらに慧能から五代目の臨済義玄に法が引き継がれ、中国に臨済宗が開かれました。 日本に臨済宗をもたらした明庵栄西や、円爾弁円は中国へ渡ってこの教えの流れを引き継いだのです。 さらに、中国から帰化した蘭渓道隆や無学祖元なども日本へ臨済宗を伝えました。 室町時代には武家の帰依を受けた夢窓疎石らによって臨済宗は発展を遂げ、建築や水墨画、文学などの禅文化が花開きます。 また、大応国師、大燈国師、関山慧玄によって「応燈関の法灯」と呼ばれる系譜も形成されます。 そして、江戸時代中期に白隠慧鶴によって現在に直接つながる臨済宗の教義が完成したのです。

 

主な宗派と本山

臨済宗妙心寺派
正法山妙心寺(京都市右京区花園妙心寺町)
臨済宗建仁寺派
東山建仁寺(京都市東山区大和大路通り)
臨済宗東福寺派
慧日山東福寺(京都市東山区本町)
臨済宗南禅寺派
瑞龍山南禅寺(京都市左京区南禅寺福地町)
臨済宗天龍寺派
霊亀山天龍寺(京都市右京区嵯峨天龍寺町)
臨済宗相国寺派
万年山相国寺(京都市上京区今出川通烏丸東入)
臨済宗大徳寺派
龍宝山大徳寺(京都市北区紫野大徳寺町)
臨済宗建長寺派
巨福山建長寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)
臨済宗円覚寺派
瑞鹿山円覚寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)
臨済宗仏通寺派
御許山仏通寺(広島県三原市高坂町)
臨済宗永源寺派
瑞石山永源寺(滋賀県神崎郡永源寺町)
臨済宗国泰寺派
摩頂山国泰寺(富山県高岡市太田)
臨済宗方広寺派
深奥山方広寺(静岡県引佐郡引佐町)
臨済宗向獄寺派
塩山向獄寺(山梨県塩山市上於曽)

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